母
【キチ兄嫁】実家で兄夫婦も同居だが元教師の兄嫁は勝手に部屋に入り箪笥や机を漁り説教。3者面談に来ようとしたり、最も許せないのは父譲りの私の天然パーマへの言及で…
父が「1人で抱えて食うな」と言い出し、大皿料理を1人で抱えて食ってたのは事実なんで皿をテーブル中央に戻しそのまま食べると、父がブツブツ「小皿を出して食べろ」と。すると
760 :伝説の鬼女 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2016/08/11(木) 20:29:49 ID:CPI
すみません今起こったことの本当に愚痴です(長い言われたんで2つにわけてます)
今夕食中で、テーブルに肉じゃががあって、自分母さんのつくった肉じゃが大好きなんで食べてたんです
そしたら父親がなんか色々言い出して、一人で抱えて食うなって(元々家は大皿のおかずからそのまま自分の箸で直接食べてく感じです)
たしかにまあ一人で抱えて食ってたのも事実なんで、テーブルの真ん中に戻してそのまま食べてたんですが、
それでもなんか父親がぶつぶつ言ってて、小皿出して取って食べろって
うちはずっと大皿から直接食べてきてて、今まで別にそのままだったし、面倒だしってこともあって「何で?」って言ってそのまま食べていたら
父親が「~~なのか?」みたいな(なにいってるか思い出せないのですが、自分に問いかけしてる感じでした)こと聞いてきて、自分はいいよやうんなど、まぁ肯定するようなことを言ったのです。
今夕食中で、テーブルに肉じゃががあって、自分母さんのつくった肉じゃが大好きなんで食べてたんです
そしたら父親がなんか色々言い出して、一人で抱えて食うなって(元々家は大皿のおかずからそのまま自分の箸で直接食べてく感じです)
たしかにまあ一人で抱えて食ってたのも事実なんで、テーブルの真ん中に戻してそのまま食べてたんですが、
それでもなんか父親がぶつぶつ言ってて、小皿出して取って食べろって
うちはずっと大皿から直接食べてきてて、今まで別にそのままだったし、面倒だしってこともあって「何で?」って言ってそのまま食べていたら
父親が「~~なのか?」みたいな(なにいってるか思い出せないのですが、自分に問いかけしてる感じでした)こと聞いてきて、自分はいいよやうんなど、まぁ肯定するようなことを言ったのです。
兄が女の子を殴り、殴り返されファビョッた兄は女の子の卵巣を片方ダメにした。母は借金返済の為に働き「本当はお前がやったんだろ?」と私に言い出したので自杀殳に追い込んだ
引用元:http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/ms/1532926907/
55 :伝説の鬼女 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2018/08/02(木) 07:40:03 ID:DoewvyLN0.net
母親を自杀殳に追い込んだ
兄と比べて虐待された、良くある搾取子
兄は暴君という本当によくある虐待。
母と兄は何から何までそっくりで、私だけ毛色が違ったのね。
で、ある日兄がとうとう外で女の子を殴った。
女の子は私にちょっと似てて、とてもやり返さないように見える子だったんだけど、授業で使うファイルで思い切り殴り返されたらしい。
それでいわゆるファビョッた状態になった兄は女の子の卵巣を片方ダメにした。
私は子宮がダメになってるんだけど、さすがに外のことは許されなかったのか、兄は示談金親におっかぶせにして消えた。
母親は病んだみたいで、薬飲んだり寝込んだりしながら借金返すために働いてた。
あんなにいい子がなんで?ほんとはお前がやったんだろ?とか言い出して
毎日毎日、あなたに似た兄は本当にいい子だね
あなたに似なかった私は本当にできそこないだね、犯罪もする勇気なくてごめんね、と
親と兄に言われつづけたことを改変して唱えたら、母は首を吊ったよ。
夫は何も知らないで、子宮のない私を虐待された被害者だと思って
姑とすごーく大事にしてくれるし、私も姑をお母さんだと思って接してる
けど私間接的に人を杀殳してるんだよね。
兄と比べて虐待された、良くある搾取子
兄は暴君という本当によくある虐待。
母と兄は何から何までそっくりで、私だけ毛色が違ったのね。
で、ある日兄がとうとう外で女の子を殴った。
女の子は私にちょっと似てて、とてもやり返さないように見える子だったんだけど、授業で使うファイルで思い切り殴り返されたらしい。
それでいわゆるファビョッた状態になった兄は女の子の卵巣を片方ダメにした。
私は子宮がダメになってるんだけど、さすがに外のことは許されなかったのか、兄は示談金親におっかぶせにして消えた。
母親は病んだみたいで、薬飲んだり寝込んだりしながら借金返すために働いてた。
あんなにいい子がなんで?ほんとはお前がやったんだろ?とか言い出して
毎日毎日、あなたに似た兄は本当にいい子だね
あなたに似なかった私は本当にできそこないだね、犯罪もする勇気なくてごめんね、と
親と兄に言われつづけたことを改変して唱えたら、母は首を吊ったよ。
夫は何も知らないで、子宮のない私を虐待された被害者だと思って
姑とすごーく大事にしてくれるし、私も姑をお母さんだと思って接してる
けど私間接的に人を杀殳してるんだよね。
母が取り寄せで加工食品を2箱買ったのだが、物凄く不味く2箱目は誰も手を付けず。それを母が、既婚の兄家へ持っていった。「あんな不味い物を!」と父と私で叱ったが
769 :伝説の鬼女 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2010/10/28(木) 23:01:21 0
未婚で実家の話だけど、汚惣菜で思い出した。
実母がお取り寄せで加工食品を買った。しかも2箱も。
1箱食べてみたら、ものすごく不味かった。2箱目は誰も手をつけず
ずっと実家の冷蔵庫に入ってた。
それを実母が息子(私にとっては兄)家に持って行った。あんな不味いものを持って
行ったのか、息子(兄)への嫌がらせか、と実父と私とで実母を怒ったんだけど、
実母は「いいのよ、あれで」と取り合わない。
その日の夕食が終わり、そろそろお風呂に入ろうかなという時間になって、
実母は義兄家に電話した。
「あら、○○さん(兄嫁)、今日持ってったアレ、うちで食べてみたんだけど
美味しくなくて。あんな不味いものを渡してしまってごめんなさいね」
と言ってた。会話の様子からは「いいんですよ」「でもごめんなさい」「いいえ、
せっかくのお気持ちですから」みたいな会話が繰広げれられていたと思われる。
電話を終えた実母に、不味いの知ってて渡したクセに、と
嫌味で言うと、わざわざ取り寄せした品を持っていく優しい母、せっかく
持ってきたものを「不味くてごめんなさい」と正直に言う裏表の無い母を
アピールできたんだからいいんだ、と堂々と言い放った。
持っていくことに意義があるんだから、味なんてどうでもいい、ついでに
捨てなくてすんでラッキー、とも。
汚惣菜、イヤゲモノを使い方一例ってことで。
実母がお取り寄せで加工食品を買った。しかも2箱も。
1箱食べてみたら、ものすごく不味かった。2箱目は誰も手をつけず
ずっと実家の冷蔵庫に入ってた。
それを実母が息子(私にとっては兄)家に持って行った。あんな不味いものを持って
行ったのか、息子(兄)への嫌がらせか、と実父と私とで実母を怒ったんだけど、
実母は「いいのよ、あれで」と取り合わない。
その日の夕食が終わり、そろそろお風呂に入ろうかなという時間になって、
実母は義兄家に電話した。
「あら、○○さん(兄嫁)、今日持ってったアレ、うちで食べてみたんだけど
美味しくなくて。あんな不味いものを渡してしまってごめんなさいね」
と言ってた。会話の様子からは「いいんですよ」「でもごめんなさい」「いいえ、
せっかくのお気持ちですから」みたいな会話が繰広げれられていたと思われる。
電話を終えた実母に、不味いの知ってて渡したクセに、と
嫌味で言うと、わざわざ取り寄せした品を持っていく優しい母、せっかく
持ってきたものを「不味くてごめんなさい」と正直に言う裏表の無い母を
アピールできたんだからいいんだ、と堂々と言い放った。
持っていくことに意義があるんだから、味なんてどうでもいい、ついでに
捨てなくてすんでラッキー、とも。
汚惣菜、イヤゲモノを使い方一例ってことで。
結婚したが夢にみていた新婚生活とは程遠い。妻は専業だが家事は夕飯を作るだけ。妻曰く、朝は兎の世話で寝不足だから起きられず昼間は犬と兎の世話で家事が出来ないらしい。
私が7歳の頃に父は単身赴任で母と暮らしていたが、母の教育方針が「自分の事は自分で」なので簡単な家事は出来た。ある日帰宅すると母がおらず置手紙があり指示に従い行動してたが…
220 :伝説の鬼女 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2014/11/26(水) 15:36:02 ID:JyV7B+bF.net
私が7歳の頃の話。
父親が単身赴任で私は母親と暮らしていた。
母親は自分の事は自分で、という教育方針で幼稚園の頃から自分の靴下や下着はお風呂入った時に手洗いするとか
小学校に入ってからはお米を研いでご飯を炊くというとかお風呂洗ってお湯を溜める位の家事をお手伝いの範囲内でやらされていました。
電子レンジの使い方も温める、位の事は出来ていました。
そして住んでいる所が商店街を抜けた所にあったので、一人でおつかいに行くとお店のおじちゃんやおばちゃんが
「あら◯子ちゃん、おつかい?えらいねー。」とおまけしてくれたりする場所に住んでいました。
ある日家に帰ると母親がおらず置き手紙がありました。
その手紙には「おかあさんはおでかけしてきます。」と書かれていて、今日はどこで何を買う、
明日はどこで何を買う。と指示が書かれていて単純な私はそれに従って買い物をして
やはり手紙に書いてあった通り、冷凍してあったご飯を食べていました。
それをしていたのは二日三日だと思うのですが、大人には違和感を感じたんでしょう。
揚げ物屋のおばちゃんに「○子ちゃん、おかあさんは?」と聞かれ、馬鹿正直におでかけ!お留守番なの!と答えると
そのままお店に引きとめられて、おばちゃんの呼んだ近くの交番のお巡りさんとおばちゃんで家に帰り、
手紙を見たお巡りさんがどこかへ電話をして、私は保護されました。
夜遅くに父親がやって来て、大泣きしながら私を抱きしめてくれたのを覚えてます。
結果的に母親は失踪。母方の祖父母にも何も言わず今でも行方不明です。
私はしばらく少し離れた父方の祖父母の家に預けられましたが、その後こちらに戻ってきた父親と住むようになりました。
母親に会いたいな、さみしいなと思った事もありましたがそれ以上に父親が愛情たっぷりに育ててくれ、今日私は20歳になりました。
大人になるにしたがっていろいろ考えてしまいたまに内心修羅場になりますが、考えても仕方ない事はあまり考えず生きていこうと思っています。
父親が単身赴任で私は母親と暮らしていた。
母親は自分の事は自分で、という教育方針で幼稚園の頃から自分の靴下や下着はお風呂入った時に手洗いするとか
小学校に入ってからはお米を研いでご飯を炊くというとかお風呂洗ってお湯を溜める位の家事をお手伝いの範囲内でやらされていました。
電子レンジの使い方も温める、位の事は出来ていました。
そして住んでいる所が商店街を抜けた所にあったので、一人でおつかいに行くとお店のおじちゃんやおばちゃんが
「あら◯子ちゃん、おつかい?えらいねー。」とおまけしてくれたりする場所に住んでいました。
ある日家に帰ると母親がおらず置き手紙がありました。
その手紙には「おかあさんはおでかけしてきます。」と書かれていて、今日はどこで何を買う、
明日はどこで何を買う。と指示が書かれていて単純な私はそれに従って買い物をして
やはり手紙に書いてあった通り、冷凍してあったご飯を食べていました。
それをしていたのは二日三日だと思うのですが、大人には違和感を感じたんでしょう。
揚げ物屋のおばちゃんに「○子ちゃん、おかあさんは?」と聞かれ、馬鹿正直におでかけ!お留守番なの!と答えると
そのままお店に引きとめられて、おばちゃんの呼んだ近くの交番のお巡りさんとおばちゃんで家に帰り、
手紙を見たお巡りさんがどこかへ電話をして、私は保護されました。
夜遅くに父親がやって来て、大泣きしながら私を抱きしめてくれたのを覚えてます。
結果的に母親は失踪。母方の祖父母にも何も言わず今でも行方不明です。
私はしばらく少し離れた父方の祖父母の家に預けられましたが、その後こちらに戻ってきた父親と住むようになりました。
母親に会いたいな、さみしいなと思った事もありましたがそれ以上に父親が愛情たっぷりに育ててくれ、今日私は20歳になりました。
大人になるにしたがっていろいろ考えてしまいたまに内心修羅場になりますが、考えても仕方ない事はあまり考えず生きていこうと思っています。
近距離別居の医者の兄が来て久々に家族団欒の夕食。楽しく過ごしていたが母の口数が減り、冬なのに汗。どうしたのか聞くと、母「胸のあたりが痛くて」兄「どの辺が痛いの?」
741 :伝説の鬼女 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2015/02/10(火) 12:58:23 0.net
2年前の話ですが・・・
近場で別居をしてる医者の兄が実家に帰ってきて、久々に家族団らんで夕食をしてた。
ひさびさに家族がそろって楽しくすごしてたんだけど、気が付いたら母の口数が少なくなっている。
よく見ると、さっきまでニコニコしてた母が真顔になってて、冬なのに汗をかいている。
どうしたのか聞いて見ると「なんか胸のあたりが痛くって…でも大丈夫」
兄がすぐさま「母さん、どの辺が痛いの?」「どういう痛み?」「ちょっと手握るからね」とここまでやってすぐに救急車を呼んだ。
待っていたら危ないからと兄が主導して、時間短縮のため、我が家の車→救急車のリレー方式で搬送。
普段はものすごくのんびり屋の兄が、今まで見たこともない俊敏さを発揮していたので、
私と父も「これはただ事ではない」と車を出したり母の体を支えたり手伝った。
結果、心筋梗塞でした。
対処が早かったおかげで、症状の重さの割には後遺症が「奇跡的」と言えるレベルでなかったそうで、
すぐに救急車を呼んだのも、救急車を待たずにリレー方式にしたのも正解だったそうです。
母はすぐにリハビリすら必要ない状態にまで回復し退院、今でも元気にしてます。
家族でまったりしている幸せな時間がいきなり生きるタヒぬの修羅場になったのは本当に衝撃でした。
もし偶然兄が帰ってきていなかったら、ここまで適切な対応ができなかっただろうなと思うと今でも怖い。
近場で別居をしてる医者の兄が実家に帰ってきて、久々に家族団らんで夕食をしてた。
ひさびさに家族がそろって楽しくすごしてたんだけど、気が付いたら母の口数が少なくなっている。
よく見ると、さっきまでニコニコしてた母が真顔になってて、冬なのに汗をかいている。
どうしたのか聞いて見ると「なんか胸のあたりが痛くって…でも大丈夫」
兄がすぐさま「母さん、どの辺が痛いの?」「どういう痛み?」「ちょっと手握るからね」とここまでやってすぐに救急車を呼んだ。
待っていたら危ないからと兄が主導して、時間短縮のため、我が家の車→救急車のリレー方式で搬送。
普段はものすごくのんびり屋の兄が、今まで見たこともない俊敏さを発揮していたので、
私と父も「これはただ事ではない」と車を出したり母の体を支えたり手伝った。
結果、心筋梗塞でした。
対処が早かったおかげで、症状の重さの割には後遺症が「奇跡的」と言えるレベルでなかったそうで、
すぐに救急車を呼んだのも、救急車を待たずにリレー方式にしたのも正解だったそうです。
母はすぐにリハビリすら必要ない状態にまで回復し退院、今でも元気にしてます。
家族でまったりしている幸せな時間がいきなり生きるタヒぬの修羅場になったのは本当に衝撃でした。
もし偶然兄が帰ってきていなかったら、ここまで適切な対応ができなかっただろうなと思うと今でも怖い。
正月に帰省すると、兄「1千万円融通してくれ」私「そんなお金ある訳ないでしょう?」兄「お前の夫が相続しただろ」母「何とかならない?」私「夫のお金です」兄嫁(睨)母(泣)
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- カテゴリ:
- 義実家・実家
939 :伝説の鬼女 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2017/01/15(日) 22:43:54 ID:ukM
新年早々実家の母と兄と大喧嘩して、このまま疎遠にするしかないかなと思ってる状況。
私の兄はいわゆる起業家なのだが、最初こそ上手くいってたものの
10年ほど前に何かで躓いて(詳しいことは聞いていない)以来、経営状態がよくないことはなんとなく分かってた。
父がタヒんだときに相続にかなり差を付けられたし。
兄には3人子供がいるんだが、その頃は本当に苦しくて大変だったらしく
実家はまるごと兄が相続し、私は現金を少し貰っただけだった。
その代り母のことは最後まで兄の経済力で世話する条件だったから受け入れたんだけど。
正月に帰省した時、兄が突然「1000万融通してもらえないか」と言い出した。
金額にもビックリしたが、何を言いだすのかと思わず兄の顔を二度見したぐらい。
「そんなお金あるわけないでしょう?」って言ったら夫の相続のことを持ち出された。
一昨年義父が亡くなった時、一人息子の夫が土地家屋と共に9桁に近い預貯金等を相続した。
(因みに実父と義母は亡くなっている)
実家で相続について話したわけではないが、義父の勤務先と地位、義母の実家、
義実家のこれまでの暮らしぶり、それに葬儀の様子などから
それなりに裕福なことは分かってるだろうし、夫が一人息子なのだからそれを相続したことも分かってる様子。
「そこから少しの間借りるぐらいできるだろう」と言われた。
もちろん断ったが、少しの間だけだから、すぐ返せるから、としつこい。
私の兄はいわゆる起業家なのだが、最初こそ上手くいってたものの
10年ほど前に何かで躓いて(詳しいことは聞いていない)以来、経営状態がよくないことはなんとなく分かってた。
父がタヒんだときに相続にかなり差を付けられたし。
兄には3人子供がいるんだが、その頃は本当に苦しくて大変だったらしく
実家はまるごと兄が相続し、私は現金を少し貰っただけだった。
その代り母のことは最後まで兄の経済力で世話する条件だったから受け入れたんだけど。
正月に帰省した時、兄が突然「1000万融通してもらえないか」と言い出した。
金額にもビックリしたが、何を言いだすのかと思わず兄の顔を二度見したぐらい。
「そんなお金あるわけないでしょう?」って言ったら夫の相続のことを持ち出された。
一昨年義父が亡くなった時、一人息子の夫が土地家屋と共に9桁に近い預貯金等を相続した。
(因みに実父と義母は亡くなっている)
実家で相続について話したわけではないが、義父の勤務先と地位、義母の実家、
義実家のこれまでの暮らしぶり、それに葬儀の様子などから
それなりに裕福なことは分かってるだろうし、夫が一人息子なのだからそれを相続したことも分かってる様子。
「そこから少しの間借りるぐらいできるだろう」と言われた。
もちろん断ったが、少しの間だけだから、すぐ返せるから、としつこい。
私が15歳の冬に母が倒れ、私は母の従兄弟の家に預けられた。寡黙な男性だったが母の退院が近づいた時、男性「この家にある物で何でも1つ与えると言ったら何が欲しい?」。私は…
18 :伝説の鬼女 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 2018/09/07(金) 01:38:40 ID:po9
私の実父は昔碌でもないことを仕出かし、母は私を連れて離婚
しかし母方の親戚は世間体をものすごく重視するので、母と私は親族から絶縁された
母の親族は皆子どもたちを迷わず私立の学校に入れるくらいには裕福らしく、私の従兄弟たちは皆、お嬢様やお坊っちゃんばかり
生活保護ギリギリの私はかなりバカにされながら育った
15歳の高校一年生の冬、母が倒れて入院することになった
貧しい私達が住む団地は訳有の人がそれなりにいて、全12世帯が入ってるんだけど、知的障/害者の人たちがやけに多かった
そのうち知的障/害の子供三人抱えた老夫婦のところの長男(40過ぎ)がかなり色キチ
私は1人で大丈夫だと言いはったんだけど、母の従兄弟だったか、独身男性の家に預けられることとなった
母の親戚だけあって、その男性の家は屋敷と言えるほどの大きさだった
男性は母より10歳は上で、寡黙で、私も元々寡黙だったから会話はほぼ無し、挨拶だけの毎日
私が食事の度に手を合わせていただきます、ごちそうさま、と言うと、無言で頷いていたのをよく覚えている
通いの家政婦さんとの方が100倍くらい話してたと思う
私は朝6時に家を出て、帰るのが20時過ぎ、寝るのが23時、土曜日も学校があったので、預け先でゆっくりできたのは日曜日だけ
それでも日曜日は宿題やテスト勉強に忙しく、与えられた部屋にこもっているか、気分転換にテラスで延々と英語のCDを聞いて発音や構文を詰め込んでた
母は2週間ちょっとで退院できることとなった
退院の日が近づいた時、男性が変なことを聞いてきた
「この家の中にあるもので何でも一つ与えると言ったら何が欲しい」
なんかそんなことを言われた
断ろうと思ったけど、何か断り難い、硬い空気で、わたしはおずおずと、辞書を探すために入った書庫で見つけた一冊の絵本をあげた
海外の絵本で何が書いてあるのかわからなかったけど、絵が綺麗で一目惚れしたものだった
油絵で描かれていて、夜景が描かれた絵の青と紺の色合いが鮮やかで、絵本のあるところだけ違う世界が広がっているようだった
そんなことを辿々しく説明していると、男性がその本を私に差し出した
だけど私の家は本当にボロくて、そんなきれいな絵本を持って帰っても、傷めてしまうと思った
それに書庫の雰囲気はその絵本の魅力を引き立たせていると感じた
だからそれも伝えて辞退した
その時男性と色々と話したんだけど、私は本が好きだけど、本は高いから買えないこと
小・中と学校に図書室がなく、図書館も遠くて、2週間に1回くる移動図書が楽しみだったこと
高校には図書室があるけど、勉強が忙しくてあまり読めないこと
アルバイトで好きな作家の本を買ったけど、家に本の置き場所が無いこと
いつか父の作った借金を返し終え、引っ越すことができたなら、小さな書庫を持って、そこに好きな本を少しずつ貯めていきたいことを話した
それが私の目下の生きる意味で目的だとも
日記を見返すまで忘れてたほどの遠い記憶
そんな会話をしてから15年、男性が遺書で私にあの屋敷と本を残すとの遺言を残して逝ってしまわれた
母方の親族とは一切交流がなかったが、やいのやいのと騒いでくる
だけど現実味がなくて、なんだか夢を見てるみたいで、今でもフワフワしてる
屋敷を見に行ったけど、中はもう殆ど空っぽで、書庫だけが当時のままだった
男性は私が好きだと言った絵本のページを開いて書庫の机に置いて眺めていたらしく
ライトのせいか、そのページだけ、記憶より少し色あせていた
男性が逝ってしまわれたことも全然実感がわかないけど、あの書庫と屋敷があなたのものだと言われたのはもっと現実味がない
ひとまず専門家を挟まないと何がなんだかわからないので、今はあえて考えないようにしている
たった2週間と少しお世話になった男性が、なぜ私に残そうと思ったのか
可能ならば男性にもう一度会ってじっくり話したかった
しかし母方の親戚は世間体をものすごく重視するので、母と私は親族から絶縁された
母の親族は皆子どもたちを迷わず私立の学校に入れるくらいには裕福らしく、私の従兄弟たちは皆、お嬢様やお坊っちゃんばかり
生活保護ギリギリの私はかなりバカにされながら育った
15歳の高校一年生の冬、母が倒れて入院することになった
貧しい私達が住む団地は訳有の人がそれなりにいて、全12世帯が入ってるんだけど、知的障/害者の人たちがやけに多かった
そのうち知的障/害の子供三人抱えた老夫婦のところの長男(40過ぎ)がかなり色キチ
私は1人で大丈夫だと言いはったんだけど、母の従兄弟だったか、独身男性の家に預けられることとなった
母の親戚だけあって、その男性の家は屋敷と言えるほどの大きさだった
男性は母より10歳は上で、寡黙で、私も元々寡黙だったから会話はほぼ無し、挨拶だけの毎日
私が食事の度に手を合わせていただきます、ごちそうさま、と言うと、無言で頷いていたのをよく覚えている
通いの家政婦さんとの方が100倍くらい話してたと思う
私は朝6時に家を出て、帰るのが20時過ぎ、寝るのが23時、土曜日も学校があったので、預け先でゆっくりできたのは日曜日だけ
それでも日曜日は宿題やテスト勉強に忙しく、与えられた部屋にこもっているか、気分転換にテラスで延々と英語のCDを聞いて発音や構文を詰め込んでた
母は2週間ちょっとで退院できることとなった
退院の日が近づいた時、男性が変なことを聞いてきた
「この家の中にあるもので何でも一つ与えると言ったら何が欲しい」
なんかそんなことを言われた
断ろうと思ったけど、何か断り難い、硬い空気で、わたしはおずおずと、辞書を探すために入った書庫で見つけた一冊の絵本をあげた
海外の絵本で何が書いてあるのかわからなかったけど、絵が綺麗で一目惚れしたものだった
油絵で描かれていて、夜景が描かれた絵の青と紺の色合いが鮮やかで、絵本のあるところだけ違う世界が広がっているようだった
そんなことを辿々しく説明していると、男性がその本を私に差し出した
だけど私の家は本当にボロくて、そんなきれいな絵本を持って帰っても、傷めてしまうと思った
それに書庫の雰囲気はその絵本の魅力を引き立たせていると感じた
だからそれも伝えて辞退した
その時男性と色々と話したんだけど、私は本が好きだけど、本は高いから買えないこと
小・中と学校に図書室がなく、図書館も遠くて、2週間に1回くる移動図書が楽しみだったこと
高校には図書室があるけど、勉強が忙しくてあまり読めないこと
アルバイトで好きな作家の本を買ったけど、家に本の置き場所が無いこと
いつか父の作った借金を返し終え、引っ越すことができたなら、小さな書庫を持って、そこに好きな本を少しずつ貯めていきたいことを話した
それが私の目下の生きる意味で目的だとも
日記を見返すまで忘れてたほどの遠い記憶
そんな会話をしてから15年、男性が遺書で私にあの屋敷と本を残すとの遺言を残して逝ってしまわれた
母方の親族とは一切交流がなかったが、やいのやいのと騒いでくる
だけど現実味がなくて、なんだか夢を見てるみたいで、今でもフワフワしてる
屋敷を見に行ったけど、中はもう殆ど空っぽで、書庫だけが当時のままだった
男性は私が好きだと言った絵本のページを開いて書庫の机に置いて眺めていたらしく
ライトのせいか、そのページだけ、記憶より少し色あせていた
男性が逝ってしまわれたことも全然実感がわかないけど、あの書庫と屋敷があなたのものだと言われたのはもっと現実味がない
ひとまず専門家を挟まないと何がなんだかわからないので、今はあえて考えないようにしている
たった2週間と少しお世話になった男性が、なぜ私に残そうと思ったのか
可能ならば男性にもう一度会ってじっくり話したかった